JEIS Aoyama

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ジュエリーとファッション

銀の簪

英国のとある裕福なおうちでの話。
ある朝、メイドが朝寝坊をしてあわてて身繕いもそこそこに部屋を飛び出し、ご主人の朝食のお給仕に出たそうです。その彼女を見たご主人、ちょっと不審そうな顔をして「親戚にご不幸でもあったのですか?」と。「え?」っと答えに詰まったメイドさん。気がつくと余りあわてていたのでジュエリーを身に付けるのを忘れていたのだとか。
真偽のほどは分かりません。しかしこの話、ファッションとジュエリーの関係を良く表していると思います。

日本で「洋服」が着られるようになるのは明治維新以後のことです。そのときの日本人は外見は器用に真似したのですが、いくつか大切なことを学び忘れてしまったように思います。
その一つは、ファッションはジュエリーとウエアの組み合わせで完成する、という概念です。これはあまりにも当然な事だったので、伝わりにくかったのかも知れません。

「ファッションはジュエリーとウエアの組み合わせ」というのは考えてみれば当然なことで、日本にも元々その習慣があったのです。
ジュエリーという点では、和服の場合は「髪飾り」にその重点が置かれています。これもまた当然なこと。何故ならば、和服には柄があるため、小さなジュエリーはその中に埋没してしまう。そのため、ジュエリーが栄えるつややかな黒髪をバックに華やかな櫛笄、簪が発達したのです。このような飾りの何もない日本髪を想像してみてください。それはひどく窮乏した姿か、喪に服しているようにしか見えないでしょう。

「日本のジュエリー」は、和服そのものがそうであるように、季節や、その人の立場(未婚、既婚など)、属している社会層(商家、武家、接客など)によって様々に分類され、重厚な文化を形作っていました。
お約束がある、ということは一面窮屈にも見えますが、それによって自己を表現し、他人にそのメッセージを伝えやすいという利点もあります。そのため、そのジュエリー自体がメッセージを伝える媒体としても利用され、数々の物語と文化を生んできたとも言えましょう。
今も図版や美術館などで当時使われていたそれらの「日本のジュエリー」に接することが出来ます。そのなんと豊かで美しいことでしょう。日本人は繊細な感覚と高度な技術でなんとすばらしい文化を作り上げたのか、ということに今さらながら驚かされます。

そういった豊かな文化と感性を持つ日本に、どうしてきちんとしたジュエリー文化が根付かなかったかという問題には、様々な理由が考えられますが、いずれにせよその結果として今の、ジュエリーの使いこなしに自信のない日本がある訳です。

私は40年近く東京・青山に暮らしています。この地で日々街を行く人のファッションを見続けているわけですが、そこで感じることは、「ファッションがどんどん貧相になってきて、豊かさを失ってきている」ということです。これは皆さんの印象とはかなり違うかも知れませんね。
沢山の店が争って新しいウエアを展示し、街の中にはファッションがあふれている。しかしもしあなたがあるとき自分自身の個性に気付いたとします。それは人とは違う。流行のこのファッションは私の個性を上手に演出してはくれない。そして、「自分」の存在を上手に表現したくなり、そのための「何か」を探し求めようとすると、街の景色は一変します。今の社会状況の中で、真に自分の個性を表現することがいかに困難か、知ることになるでしょう。

「表現」という言葉がとても重要な意味を持っています。
「社会」というステージの中で、「私はこういう人間です。こういう主張を持っています」ということを「表現」するにはウエアとジュエリーに頼るしかありません。裸で外を歩くことがマナー違反である以上、それから逃げることは出来ません。
意識を持ち、主張があるのが人間であるのなら、それをうまく表現したい。それがよいウエア、よいジュエリーを身につける理由であり、その人の個性の優れた面を上手に表現し他人に対して良い印象を形成すると同時に社会の雰囲気を明るく楽しいものにする。それがウエアとジュエリーの役目であると考えます。